提携蔵元頚城酒造18代目紹介
当店の地元の蔵元として古くからお付き合いがあり、
まさか!酒店でもメインのお酒として取り扱う
頚城酒造さんを紹介致します。

実は蔵元の八木社長が私と同じ年齢ということもあり、日頃から親しくさせて頂いていますが、今回は改めて八木社長にいろいろとお聞きしたいと思います。

まさか!酒店 店主、頚城酒造社長へのインタビュー

なぜ、造り酒屋を継いだのか?

八木社長、今日はお忙しいところ、お時間を作って頂きありがとうございます。
それでは早速、頚城酒造と八木さんについてお話を伺いたいと思います。
まず、今のお仕事である造り酒屋という仕事をなぜ継いだのでしょうか?

八木家は、歴史をさかのぼると私で18代目になるのですが、1697年から約300年以上もの間、紆余曲折がありながらも酒造りを行ってきました。

すごい酒造りの歴史ですね。
驚きました。

そうですね、途中、酒造りを休んでいたこともあったようですが、それでもここまで続いているというのは私も少々驚きです。
ただそんな風に改めて感じたのはここ数年ですが。
でも小さいころから家で商売をやっていることはよくわかっていましたよ。

日曜日も休みはないですし、お店(会社)を開けておくから、泊まりがけで家族旅行に行くことも、ほとんどなかったですし。

あっ、うちもそうです(笑)
友達が休みで遠くに出かけているのに、僕だけなんで行けないんだと思ったことが記憶にありますね。

そうですか、宮崎さんのお店も昔からの酒屋さんならそうですよねー。
そういう部分では本当に似てますね。

私の母は、実は私には家業を継いでほしくなかったようで、常々「公務員になりなさい」と言っていました。よほどこの仕事で苦労をしたんですかね(苦笑)

でも、不思議と造り酒屋は嫌だという感覚はありませんでした。
もちろん、放蕩息子でしたから、ろくろく家業の手伝いなどもせずに、「跡を継ぎたい!」などという積極的な気持ちも小さい頃はありませんでしたけどね。

同じくそうです。
どうすれば手伝いをしないでいいか、なんて思ったりもしましたし。
でも、大きくなって自分の進路を決めるときには、やっぱり自分の家の商売のことを考えませんでしたか?

それはもちろん考えましたよ。
でも、考えて確固たる答えがでて進路設計をした感覚はあまりありませんね(笑)

ただ、お話したように、嫌だという感覚はありませんでしたから。

押しつけられたら、かえって反発したのかもしれませんが、その辺はうちの父親は絶妙にうまかったのかもしれません。

で、結局大学は農学部に入りました。
これは造り酒屋を継ぐための、王道コースの一つでもありますが、これは成り行きなんですが。

えっ、成り行きですか?

ええ、成り行きなんです。

高校の時に理系を選び、授業は生物と化学の選択でしたので、受験では農学部や理学部などしか受験できなかったのです(笑)
といっても、絶対継ぎたくなければ、あまりにも関係がありそうなところにはいかなかったとも思いますけどね。

大学のゼミは、醗酵食品学研究室に所属をしたものの、担当教授はこともあろうに、「納豆菌」のスペシャリストで、東南アジアの醗酵食品などが専門だったんです。

ですから、大学で農学部、発酵食品学研究室という経歴のお話をさせてもらう時
は、誤解をされやすいので、少々説明が長くなります(苦笑)

いやいや、素晴らしい経歴じゃないですか。
私なんて、東京に出たい(=遊びたい)だけで、専門学校に進学したという経歴ですから

それも、もちろんありましたよ。
父も母も姉も東京の学校に行っていて、自分も絶対「東京」に行きたいと思ってました(笑)
ただ、私の行ったキャンパスは、正確には川崎市に住所がありましたけど(笑)

で、大学を卒業されて、すぐに家に戻ったんですか?

いえいえ、卒業してそのまま、全く関係も無かった建築資材のメーカーさんに
3年間だけ営業としてお世話になりました。

えっ、そうなんですか?

そうなんです。その後に家業に入りました。
なぜ?といわれると、その時はなんとなくだったと思います。建築資材のメーカーさんも素晴らしい会社で、決して嫌だったからではありません。

でも直感的に感じていたんでしょうね。
家業を継がないともったいないと。

僕は、特別な職業に就く特別な能力もありませんし、小さいころからのあこがれの職業もありませんでしたが、造り酒屋には希望をすれば、誰しもがなれるわけではないということがなんとなく分かっていたんだと思います。

そうですよね。
やりたいと思っても普通の方にはできない職業ですね。

そして造り酒屋は、月並みな言い方ですが、人生をかけて働く上で、やりがいと誇りのある職業だと感じたのだと思います。

今では本当にそう思います。

ですから、「継げるチャンスがあるのに継がないのはもったいない。それくらい価値のある仕事だ」と思い、家業を継いだというのが答えでしょうか。

素晴らしいです。

あまり良く考えないで家業を継いだのは、私も同じですが、やっぱり生きる道は
これなんだと私も今は強く思います。
またそう思えるのは、今までこの仕事を続けてきた両親の姿を見ていたからかもしれませんね。

まさにそうだと思いますね。

日本酒の魅力について

それでは引き続き、八木さんが思う日本酒の魅力について教えて頂けますか?

味わい的な魅力ももちろんありますが、「つながる」ことができることが、
日本酒の一番の魅力ではないですかね。

なるほど。
具体的にどんなことでしょう?

酒席では注ぐ、注がれるで、確実に両者の間を縮めますよね。
もちろん、ビール等も注ぎますが、日本酒のそれは少々他の酒類とは違う気がします。

たしかに。
注ぎあうのが面倒と感じることもありましたが、今はそれが初めての人でも話すきっかけとなり、交流が生まれますよね。

はい。
そして、「地酒」は、ふるさと固有の産品ですから、ふるさとと人を繋げる役目を担うこともあり、それゆえに同郷の人通しもつなげてくれます。

我々は新潟の酒蔵ですが、新潟県民の皆さんが新潟の酒を自分のことのように誇らしく、よその県の方に自慢されている話を聞くと、本当にうれしいです。

そうですよね。
当店のお客様でも新潟出身で県外に住んでいらっしゃる方、または新潟に仕事でいらっしゃった方に通信販売でお買い上げ頂くことが意外と多いです。
地酒が人を繋ぐというのはたしかに感じます。

そう言ってもらえると嬉しいです。
日本酒はそんな形で、ごく自然に素晴らしい繋がりを生みだすことができる。
それが国酒として日本人に長い間愛されてきた日本酒の一番の魅力じゃないのかなぁと最近は良く感じます。

頚城酒造が目指すお酒とは?

それでは最後に、頚城酒造が目指すお酒造りについて教えて頂けますか?

目指す酒は日本酒の魅力を最大限に発揮することができる酒です。
すなわち、繋ぐ酒。
人と人をつなぎ、おいしい料理と人を繋げる酒。
簡単に言うと、故郷と繋がり、また食事や宴席の中で輝く酒です。

うんうん、わかります。
それを具体的に味わいにすると、どんな感じですか?

味わい的には、食事を引き立てる酒が我々の目指す酒です。
食事を食べる、一杯飲む、そしてまた次の料理がおいしいという食と酒の関係。
良く言われますが、「口当たり旨く、後口切れる」酒、そんな酒造りを目指しております。

私もそう思います。
料理やおつまみと楽しむお酒がやっぱり一番ですよね。
これからも美味しい新潟のお酒を造り続けてください。

ありがとうございました。

頚城酒造の紹介

会社年表(八木家文献による)

1697年 5代 八木善六郎が十石二斗を醸造
1900年 13代 八木和一が清酒「冬の花」を醸造
1936年 小松酒造「御膳水」との新たな縁戚関係により、合併。
頚城酒造㈱設立。清酒「久比岐」を醸造
1972年 新蔵増設
1983年 清酒「越路乃紅梅」を醸造
1995年 瓶詰め工場を新設
1999年 清酒「越後杜氏の里」を(株)イズミックと共同製造
2010年 新潟県酒造従業員組合酒類品評会において総裁賞(第一位)受賞
  現在に至る

会社概要

会社名 頚城酒造株式会社
住所 新潟県上越市柿崎区柿崎 5765番地
創業年月 昭和11年(1936年)11月
資本金 35,000,000円
代表者 代表取締役 八木崇博
従業員数 17名(蔵人含む)
銘柄 久比岐、越路乃紅梅、越後杜氏の里 等

平成24年5月現在